鷹杜が出て行った。
台所では蒼波が、一人でトーストを齧っていた。
蒼波といえば、昨日散々泣いて寝たら、悲嘆が憤慨に変わっていた。
鷹杜とは絶対こっちから話しかけないと、天に誓っているようだ。
勿論鷹杜が帰国しても、許すつもりは無いらしい。
蒼波はそれからいつも通りに出勤した。
更衣室で同僚と話しながら着替え、自分の席に着いて仕事を始めた。
蒼波はさっさと仕事を片付けた。蒼波は結構手際がいい。
それから少し暇になって、自分の机の上に置いてある携帯に手をのばした。
なんとなく画像フォルダを見ていた。ちなみに蒼波の携帯はカメラ付である。
高校時代からずっと愛用している携帯で、高校時代に貼ったシールやらプリクラはまだ残っている。
そして高校時代に撮った写真も、メールも残っていた。
・・・高校時代はよく、鷹杜と携帯のカメラで写真を撮ったものだった。
鷹杜は元々写真を好んでいなかったが、蒼波がしつこく頼んでなんとか許可してもらったのだ。
プリクラもそうだった。携帯の裏側には、鷹杜と蒼波のツーショットが貼ってあった。
蒼波は制服を着た鷹杜と蒼波の写真を眺めていた。
制服を着て、ニコニコ・・・というよりニヤニヤして写っている。
時に蒼波が、悪戯で鷹杜を撮ったものもあった。
何度も画像を見ているうちに、蒼波は見るのに飽きてきた。
というか、蒼波は暇なとき、いつも携帯の画像を見ていた。毎日見ていれば飽きるだろう。
次はメールフォルダを見てみることにした。
鷹杜との高校時代からのメールが残っていた。
今では鷹杜とメールなんてほとんどしない。一緒に暮らしているのだから。
メールは高校時代にやりとりしたものがほとんどだった。
長く打ってあるものから、短いものまで。おはようのメールから、おやすみのメールまで。
どのメールからも、幸せを感じた。
あの頃は喧嘩なんてめったにしなかったし、デートの約束も守ってくれた。
あのときはあんなに幸せだったのに・・・。
幸せの思い出は今、涙の素になっていた。
それでもメールも、画像も、幸せだった思い出も捨てる勇気なんて、蒼波には無かった。
それから蒼波は仕事が終わって、帰宅した。
鷹杜が帰らないので、一人で夕食を食べる。
蒼波は一人で静かな台所で、もくもく食べていた。
次第に蒼波は何だかそれが嫌になり、テレビの電源を入れた。
今の時間帯は、ニュースぐらいしかやっていない。
ニュースキャスターがこっちの気も知らずに話している。
しかし何だか、いつもより忙しい感じがする。
ニュースキャスターの右上に、飛行機の写真が出ていた。
どうやら飛行機事故があったようだ。
エンジンが飛行中にトラブルを起こし、太平洋にそのまま突っ込んだ・・・とか。
でも飛行機なんか、蒼波には関係ない。
・・・関係なくなかった。
飛行機といえば、今日鷹杜が出張で飛行機に乗ったではないか!
蒼波はガタっと、席を立った。
もし鷹杜の乗った飛行機だったら・・・鷹杜は一溜りもない。
しかも「太平洋に突っ込んだ」ということは、アメリカ行きの便の可能性だってある。
でも鷹杜の乗った飛行機とは決まっていない。
まだそんな証拠なんて無い。
蒼波はとりあえず、椅子に腰を下ろした。
きっと鷹杜の飛行機じゃない。きっと鷹杜の飛行機じゃない・・・。
蒼波は無償に不安になって、何度も自分に言い聞かせたのだった。
でも鷹杜の乗った飛行機じゃないとは決まっていない。
まだそんな証拠なんて無いのも確かだった。
鷹杜が乗った飛行機が墜落したのでないという具体的な証拠がないと、安心できそうにない。
でも蒼波は鷹杜の乗った便を知らなかった。
昨晩に初めて出張だったことが発覚して、それから鷹杜とは口を利いていなかった。
蒼波はただどうすればいいか考えた。
・・・冷静に考えれば恐らく見当はつくだろう。
しかし蒼波はどうにも冷静になれそうになかった。
考える間にも、蒼波に圧し掛かる不安は膨張していく。
ニュースキャスターは、そんな蒼波を無視して一人で話している。
・・・ルルルルルルル、ルルルルルルル
台所に響いた。電話だ。
誰とも話す気なんて無いのに鳴る電話は、迷惑なものだ。
それでも今は蒼波しかいないのだから、蒼波が出るしかない。
重い腰を上げて、蒼波は電話に向かった。
「もしもし?」
受話器から聴こえる声は、蒼波には聞き覚えの無い、男の声だった。
「どなた?」
ものすんごくやる気なさ気の声。
「神崎君の上司だが・・・。」
鷹杜の上司!?
鷹杜の上司ということは、出張のことも知ってそうだ。
というか会社に電話すれば良かったんだなぁ、と蒼波は思った。
「あの!鷹杜の飛行機の便、教えてもらえませんか?!」
蒼波の声が一転した。
「ああ、そのことなんだが・・・。」
何故だか・・・声のトーンが下がった。
その声の変化を、蒼波は見逃さなかった。
「今日の飛行機事故の便がな・・・鷹杜の便・・・なんだよ・・・・。」
ガタっ・・・・。
力強く握られていた受話器は、蒼波の手から滑り落ちた。
蒼波が覚醒したときには、もう日が昇っていた。
部屋は妙に明るかった。差し込む日光と、天井で部屋を照らす蛍光灯のせいだ。
蒼波はまたも、そのまま部屋で眠ってしまったようだ。
今日は休日だった。
それでも外では蝉が、休み無く鳴いていた。
少ししか窓が開いていないのに、蝉の大合唱は部屋を満たした。
とりあえず蒼波は洗面所に向かい、顔を洗うことにした。
鏡に映る自分の顔。頬に残る白い筋。
まだ濡らしていない指で、なぞってみた。
この涙の理由は・・・。
でもまだ信じられない。
蒼波はそのことを考えるのが嫌になり、流水で顔をジャブジャブ洗った。
冷たい水は、夏の朝の洗顔には気持ちいい。
それから蒼波は台所へと続く廊下を、のろのろと歩いていた。
・・・台所に、蝉の声に紛れて、誰かの声が聴こえた。
「鷹杜!?」
台所を目指す足が急いだ。
台所に満ちる朝日の光。
台所の空間にも、蝉の声が響いていた。
いつも通りの台所だった。
鷹杜はいなかった。
でも誰かの・・・間違いなく人の声が聴こえた。
テレビだった。・・・昨日つけっぱなしで寝てしまったのだ。
テレビでは、夕時とは違うニュースキャスターが、もくもくと話していた。
夢から覚醒したような気がして、蒼波は立っていられなくなり、その場にぺたんと座った。
やっぱり・・・。
頬に日光を感じる。
直に誰かに、頬を触られているような。
温かい指先が、頬を撫でるような。
蒼波はまだ立ち上がれずにいた。
何故鷹杜と度々喧嘩するようになったんだろう・・・、
なんて、蒼波はふと考えていた。
埃を被った記憶。
埃を掃ってから手に取ってみた。
そういえば・・・鷹杜とデートができなくて怒ったんだっけ。
ただ・・・鷹杜のことが・・・
今まで喧嘩してきたけど、だけど・・・
『鷹杜なんて嫌い!!出張に行ったまま帰って来なくていい!!』
そう言ったことを、蒼波は思い出した。
本当は、違ってたんだなぁ・・・
なんだかんだ言っても。
嫌いって言えば、こっちを向いてくれると思って・・・だったんだ。
本気で好きになった人を、簡単に嫌いになれるわけなかった。
デートの約束を破られるのに怒るのも、
嫌いでもないのに嫌いと言ってしまったのも、
二人で作った思い出を捨てきれないのも・・・、
ただ、好きだったから・・・。
気づけば夕時だった。
蒼波は一日中パジャマのままだった。
結局朝食と昼食を兼ねてしまった。
今日の時間はほとんど、泣くことに費やされてしまっていた。
でもとりあえず、夕食は摂ることにした。
夕食をなんとなく作っていた。作っている間も放心状態で、手先が危なっかしかった。
なんとなく作っていたら、自分一人では食べきれない程作っていた。
二人分。
ピンポーン。
こんな時間に、お客様がいらしたようだ。
こんなときに、誰にも顔なんて合わせたくないのに・・・。
誰の顔も見る気なんてしないのに。
でも出ないわけにはいかないので、蒼波はとりあえず玄関まで歩いた。
「はい?」
扉は既に開いていた。
誰かが立っていた。
花束と、白い箱を持って、
鷹杜が立っていた。
「・・・ただいま、蒼波。」
こちらに向かう足音に、鷹杜が囁くような声で言った。
「えっ!?」
しかし二人が顔を合わせた途端、お互い声を漏らした。
「鷹杜、なんで・・・」
「蒼波、なんだよその顔・・・。」
「か、顔!?」
蒼波が顔を指で覆った。
「目、真っ赤だよ。」
「えっ!えっ!?」
そりゃ、一日中泣いていれば赤くなるのも分かる。
ただひたすら泣いていたので、目が充血していたなんて気づいていなかった。
「でも鷹杜、飛行機事故・・・鷹杜の便だったんじゃ・・・!?」
太平洋に突っ込んだ飛行機に乗っていた人が生きているなんて、普通考えられない。
「あ・・・は、実はさ・・・飛行機乗ってなかったんだ。」
乗ってなければ生きているわけだ。が・・・
「え!?」
蒼波が真っ赤な目を見開かせた。
「出張・・・サボっちゃった。」
鷹杜は意地悪そうな微笑を浮かべた。
「なんでッ!?」
「だってさ・・・」
鷹杜は両手にある花束とケーキを差し出した。
赤い薔薇と、かすみ草の花束。
白くて底辺が正方形の箱・・・、見るからにケーキの箱だった。
「蒼波の誕生日。」
「あ・・・・。」
そういえば、今日は17日・・・蒼波の19回目のバースデーだった。
「忘れてたの?あんなに楽しみにしてたじゃないか・・・?」
「だ、だって・・・鷹杜が・・・。」
蒼波の胸の中で、言葉が詰まって台詞が続かない。
代わりに赤くなった目から、涙が溢れてきた。
「ごめん・・・心配かけて。」
蒼波に近づき、花束と箱を玄関に置き、両手を蒼波の顔に近づけた。
鷹杜の指が、蒼波の頬の涙を拭く。
鷹杜の指は温かかった。
「鷹杜・・・私もごめんね・・・嫌いじゃないよ・・・帰ってきてくれて嬉しかったよ・・・。」
蒼波は心の内を整理して、やっと言葉を発した。
それから鷹杜の胸に飛び込んだ。
やっと素直になれて、自分の言いたいことが言えて、
自分の本当の気持ちに気がついて・・・涙が溢れる。
「っていうかさ・・・蒼波の誕生日が無かったら、俺太平洋に突っ込んでたんだなぁって・・・。」
胸の中で顔を埋めている蒼波の耳元で、鷹杜が囁いた。
「良かった・・・鷹杜が帰ってきて・・・。」
鷹杜も蒼波の体を、腕で優しく包んだ。
それから二人で、蒼波の誕生日を祝った。
ケーキに蝋燭を19本立てて、火を灯した。
蒼波は一息で火を消した。
鷹杜は蒼波の赤くなった目をからかった。蒼波は「鷹杜のせいじゃん!」と笑った。
二人は笑った。
携帯に残ってる、高校時代の画像のように。
白亜の教会。
空から響く、鐘の音。
空に舞う紙吹雪。
教会の壁より白いドレスを纏った蒼波が、青い空を見上げていた。
「蒼波、何空見てるんだよ?」
隣で白いタキシードを着た鷹杜が、蒼波に声を掛けた。
「ううん・・・なんでもない!」
鷹杜の顔を見ながら、蒼波が言った。
すると高校時代の友人達が、蒼波たちの前に駆けつけてきた。
「この高校時代からのバカップルめー♪」
「神崎蒼波になるんだね〜」
「20歳で結婚かよ〜!」
口々に二人を冷やかした。
「えへへ〜一足早くてごめんなさいねー!」
二人は口を揃えて言った。
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